妹に恋人ができた。

妹に恋人ができました。たったこれだけのことですが、私たち家族にとっては重大事件であり、こんなことが言える日が来るとは夢にも思わなかったのです。なぜなら妹は障がい者だからです。見た目はふつう、お話もできる。でもやっぱりなにかが人とちがう。これだけの理由で、妹はふつう学級にも行けなくて、ふつうの人と同じように外で遊ぶこともできなくて、遊ぶ人もいなくって、他人には心ないことを言われて、たぶん人一倍つらい体験をしてきた子でした。誰かに意地悪をされても絶対に人には言わずがまん強い子でもあった。何より愛される子で、常にニコニコ笑っている。妹のことが好きなひとは周りにたくさんいました。

ただ、このがまん強さが裏目に出てきてしまっていたことに気がつくのが遅すぎて、妹は私たちの知らないところで見ず知らずの男性に襲われて妊娠して堕胎手術を受けました。まさか妹が、と衝撃が走ったと同時に、守っているつもりが何も聞き出せなかったこと、気づかなかったことの責任を強く感じました。

そんな妹に恋人ができたのは青天の霹靂で、それはつい一週間前の話です。もちろん私たち家族は最初その男性を疑ってかかり、なぜわざわざ障害のある妹に近づいてくるのかと詰め寄って、とにかく信用ができないの一点張りを通しました。でも妹はその男性に、家族にも言ったことのない自らの心の中をすべて話していたのです。なぜそんな話を妹がその男性にしたのかはわかりません。けれど、自分が障害を抱えていることや、いままでが本当に苦しかったこと、本当は自立したくてたまらないこと、そういうことをこの男性に打ち明けたのでした。

この方は律儀にわたしたち家族の前に現れて身分証を差し出して、妹と話しているのが純粋に楽しいし、力になりたい、と言いました。出会って1〜2日前の話です。

この男は何を言っているのだろう、なにかの策略があるのではないか、妹を傷つけるのではないかと、私と母は疑いました。でもその男性は誠実に対応をしてくれ、しまいには妹の施設にも一緒に行って、自分の自己紹介から、妹が抱えている事情を説明してくれました。

 

そんなこんなで、Fさんが妹に抱くものは愛情以上のなにかであり、妹に接する態度を間近で見ていたわたしは、もうこのふたりを自由にさせてあげよう、信じよう、と母に言いました。

母は本当に疲れ切っていて、信じて裏切られたらどうしようと嘆いていましたが、妹がこんなにも切実に「大事な人だから一緒にいたい」というのは初めてのことだったので、信じるしかなく、信じました。

Fさんと妹の今後についてはどうなるのかはわからない。それでも、こんなことが本当に起こるなんて夢にも思わなかったわたしはいまちょっと現実に足が付いていません。さっきも妹が嬉しそうに「あしたはランチでイタリアンを食べるんだけど、一緒に来る?」なんて言ってきます。

こんな会話を妹とできることが信じられなくて、そしてとてもうれしいのです。この間はFさんと妹のデートに同行し、一緒にごはんを食べました。なんだかふたりの空気感は似ていて、とてもゆっくりしていて、でも確かな愛情がそこに交わされています。親子のようであり、友達のようであり、恋人。不思議な関係です。

妹がFさんと出会う直前に、買ったばかりのパズルのピースが一つ足りない、と騒いでいました。真ん中のピースがひとつだけ本当にないというのです。こじつけかもしれませんが、そのピースが、妹がいままで探し求めていた真ん中のピースが、Fさんだったのかもしれないなあなんて考えてしまいました。

「パパが神様に頼んで連れてきてくれたの」と、体を震わせながらつぶやいたあの妹の顔が忘れられません。父親はFさんと同じ年齢で、亡くなっています。人生には本当に不思議なことが起こります。わたしは妹のことが大好きです。これからふたりと一緒にすごす時間がわたしの楽しみにもなりました。

障害者だから、という色眼鏡をつけて妹を見ていた自分を反省します。そんなものは取っ払って、妹自身がちゃんと存在しているということを認めてくれたFさんに心から感謝しています。

 

無責任のはじまり

 

なにかを書く場所をコロコロ変えすぎる癖がある。このはてなブログも実は過去に複数存在していて、先日数年前のブログにコメントが付いていることに気がついた。当時はまったくそんなことに気がついていなかった。大学時代、逗子でのゼミ合宿のことを書いたものにコメントが寄せられていたのだけれど、そのゼミ合宿でわたしは合宿に行く前にそれが憂鬱すぎて行く前にトイレで泣いていた始末だったので、きっと暗い暗い文章だったのだろう。思い出すとちょっと笑えてくる。皆が皆でどこかに行ってしまって、わたしは海辺の近くの喫茶店でとりあえずレモンジュースを飲んでぼんやりしていたのだが、そのときも多分泣いていた。何がそこまで辛かったのだろうか。それなりに皆はわたしの性質に気がついていて、放っておいてくれたり、優しい言葉をかけてくれたりしたのだけれど、当時のわたしはそのような気遣いを受け取る余裕がなかったのだと思われる。実際のところいまも大多数の人間と一緒にいるとそんな風になることがあるのだが、もうこれは性質上仕方のないことだ。ひとりになりたいからわざわざひとりになっているのになぜ泣くんだという話ではある。社会人になってからはたくましくなって仕事上ではしっかりした人間を装えるようになった。働くということはわたしにとって精神衛生上よかったのかもしれない。何もしていないとまったくどうでも良いことにウンウン時間をかけて悩み考えそうして結局は鬱状態になるというのがオチだから。で、こんなところにこんな風に何かを書いたところでどうにもならないのに定期的に無駄な場所に無駄なことを書きたくなることがある。使っていた日記のサイトのお試し期間が終了し、そこにはもうなにも書けなくなった。自分のPCには数年前から書いている日記があってスクロールをしてもしても言葉があふれている。正直言ってこの、自分だけしか読まない日記は私の分身であり絶対に消えてはならないものだ。ここに書き記されている人がたくさんいる。そしてもう二度と会わないであろう人の記憶もここにはちゃんと書かれている。これから出会うのであろう人は、待っていてください。書きますから、という感じ。わたししか読まないんだけど。こんな風にいきなり書き始めては突拍子もなく全てを消したくなるのが私の癖で、ネット上に書くものは、わたしは一つも信用していない。なぜなら無責任にスイッチ一つでポチッと消せるから。だから大事なものは、本当に残しておきたいものは、机の上のノートの中にびっしり書き込んでいる。これは無責任に消すことはできない。ということで、こんなものは読まれなくても良く、忘れ去られても良く、ただ単に書くという行為、自分が気持ち良くなる行為をしているだけという感じ。プールで泳いでいるような感覚なのかしら。プールで泳げたことなどなく、習っていたのにもかかわらず毎回溺れる始末で海やプールはちょっとこわいのですけれども、ただ浮かんでいるということはしていたい。しかしまあ、さっきも書いたけれど、森田童子が本当にすばらしい。でもこの歌詞は本当に死にたくなったときにそれを促すような作用があって、ちょっと危険。

 

このブログに表示されている文字のフォントが好き。

 

向き合えるものが今はあると思っている。 けれどある日突然それが無くなってしまうかもしれないと怯えてもいる。 向き合うものがなくなったら自分に閉じ込められてしまう。今この時間が尊い時間だ、と分かっていることにすこしの寂しさがある。その尊さを思い出して泣くような日が来るのだと、どこかで知っている。 不確かなものだらけなのに、信じたいことは山ほどある。 心というものの形はないと思っている。 透明だったり濁ったりするような水にちかい。 水の心を心の水を、なるべくなら汚さないようにしていたい。 わたしは透き通っている自信がぜんぜんないのだけど。 ずいぶんまえに濁ってしまっている部分が、きっとあります。

それでも相手の水に呼応したとき、かすかに波打つ瞬間を身体で感じたい。  覚えていたい。 波打つ心、を信じていたい。