過ぎ去るもの

 

ひたすら寝ても眠く、それは朝きっちりと起きてみなと同じようにそれなりの時間を仕事に費やしているからなのだがこの一ヶ月間何もしていなかったのでこのサイクルにうまく体が馴染めずに日中もそれ以外の時間もとにかく空き時間に恐るべき眠気が襲ってくるのであり、しかしとんでもない寒さのために暖かく安心して眠ることはできず、辛うじて目覚めているのだった。

このところ毎日自炊とやらをしてしまっているが、特に料理が好きではなかったはずなのに自分で飯を作り食べるという行為は健康的で、行きたくもない飲み会に金や時間を費やすことよりも自分にとっては地味なこの生活が非常に有意義だ。ただあまり人と口をきかなくなった。その必要がないのとただただいつも疲れているからだ。

それにしても仕事が始まりまるっきり本を読まなくなり、仕事柄活字に触れる機会は多いがそれは読むというよりなんだろう、まあとにかく仕事なのでたとえ本に触れていたとて心は休まらず、この土日にはたっぷりと本を読む行為をしたいとは思うが絶対に眠ってしまうだろう。今一番したいことは日が差す部屋で眠ることなのである。

 

寒い寒いと言いながらあたたかいスープを作って飲んで、自転車を漕いで職場に向かう。今日は雨だからカッパを着て行ったが別にここまで頑張る必要はないわけだ。ああ面倒くさいと思ったらすべてを終了させる意気込みで、無気力で、前に倒れるように進んでいかなければと思う。12月だがことごとく予定を空けていて、予定のない12月が嬉しいなあ。ああ嬉しい。スケジュールは空白でいることがのぞましい。その日によって塗りつぶすことができるからだ。無理をしないで生きようねえ、無理だと思ったら逃げましょうねえ。手がかじかんで冷たいので恋人の手を握りたいなどと思うが今は隣におらず、隣にいないことが当たり前なのだけれど一度温かさと覚えるともう一度その温かさを思い出してしまう、思い出せてしまう。こんなものは覚えなければよかったなあそうしたらもっとたくましくなれたのに、などと嘆いていたらそんなものはあらゆるものに通用するのでまったく無意味なことなのだけれども。

クリスマスソングを聞くタイミングがわからずまったく聞いていない。このままクリスマスが頭上を真横を真上をそこらじゅうを通過していくのだろうか。あっという間に正月で、わたしは正月の真ん中にポツンといつまでも腰を降ろしていたいのだ。

ハムチーズサンド

 

久しぶりに朝の健康的な時間に目覚めて、10秒間ほど「気持ちよく眠れてしまった」と惚けていた。明後日に向けて体が生活リズムを整える準備を開始してくれているのかもしれない。二度寝でもしようかしらと考えたが、窓から差し込む光がきれいだったので起きてみることにした。起きて、そしてハプニングが起こる。

 

昨日の夜見ていたアダムスファミリーがPCのなかに入ったまんま取り出せなくなってしまったのである。検索で「mac dvd 取り出せない」と急いで検索をすると同じ症例で苦しんだと思われる方がさまざまな方法を事細かに書いてくれていたので、それらをひとつひとつ実践してみたのであった。何度再起動したか、何度電源を落としたかわからない。けれど何をしてもダメで、こんなことに煩わされるのが嫌で嫌で仕方なく、パソコンを叩き壊したくなったがそんなことをしたら後が困るからとどまる。けれどこのまま入ったままだとツタヤにDVDを返却することができずに延滞料を取られてしまうので早急にどうにかしたかった。

電源を入れるたびにアダムスファミリーが再生されるので気が狂いそうだったしそしてもう二度とこれを借りることはないだろう。気を紛らわせるため、コインランドリーに行き洗濯物を洗濯機に放り入れた後コンビニでサンドウィッチを買い食べ、コーヒーを飲んで一服をし、ここまでは順調であるにもかかわらず、しかし全くDVDは出てくる気配がない。出てくるまで気長に待つ気でいたが、わたしは少しでも気になることがあるといてもたってもいられなくなる性格で、早く解決しなければ今日を穏やかに過ごすことは非常に難しそうだった。だから、気長に待ってみようと他のことを考えてもやはりDVD取り出し口のボタンを連打していて、まったく気を紛らわせることができなかった。誰かが薄い定規がなんかを差し入れて取り出したという物理的にかなり恐ろしいやり方しか最終手段に残されていない状況で、いてもたってもいられず修理屋に連絡する。まずメールで。「DVDがパソコンから取り出せなくなってしまったので、もしできるようでしたら取り出してほしいのですが・・・・」。こんな風なメールの送り方が合っているのかどうなのかはわからなかったが、連絡をした後すぐに電話がかかってきた。電話に出た相手がいかに表情のない人物かというのが声音や間の置き方ですぐわかり、なんだか嫌な予感がした。案の定で、事情を説明すると馬鹿高い料金で修理を請け負う旨を説明される。ただこのDVDを取り出すだけで、しかも中のハードディスクが壊れているわけでもなさそうなのに、なぜこんなアホなくらい高いお金を払わなければならないのだろう。わざと難しい話に相手が持って行ったので、これは脅しに近い何かだと危機を察したわたしはとりあえず後で伺いますと言って電話を切った。そしてだんだん腹が立ってきて、パソコンを持ち上げ横向きにしポコスカ叩いているとアダムスファミリーがぬんっと差込口から出てきたのであった。ものすごく簡単に出てきてしまったのであった。あの男は修理に時間がかかりしかもパソコンを分解する必要があるなど言っていたが、その電話を切った10秒後に現れたこのDVDを見てなんというのだろうか。もしこのままあの修理屋に持って行って、いかにも簡単にこれが出てしまったとて馬鹿高い料金は取られてしまっただろう!世の中にはぼったくりみたいな人が多いということを今知った。そして自分はかなり無駄な金を今まで払っていた。(それは明らかに私の不注意が大半を占めているので全ての人が悪者ではなく、わたしがしっかりしていればなんとかなった話ではある)まあともかく、アダムスが現れた瞬間はおもわずガッツポーズをしてしまった。早起きした朝にひとりでドタバタとした挙句もう今は眠い。自転車でそこらじゅうを駆け回るか、いなり寿司を作るか、ふたつ先の駅まで行って喫茶店に入り読みかけの本を読むか、いろいろやりたいことはあるがもう力を使い果たしてしまった気がする。そして昨日戯言を書いていたがあれらのことの一切を今は思っていないし、夜と朝っていうのは本当に、まるっきり書くことが違ってくるのでこれまた不思議である。

 

 

戯言2

 

この一年間で起きた様々なことのほとんどを忘れたい。10月、11月の記憶だけ伸ばして引っ張って1月から9月までの記憶に貼り付けたいが、そんな調子の良い話はあるはずもなく、そもそもそれらの延長で今があるということを忘れてはいけない。でもともかくこの人生で忘れたいことが多くを占めていることは確かで、そして実際わたしは結構いろいろなことをちゃんと忘れているのであり、それは時々誰かをさみしい気持ちにさせるのだ。そんなことあったねえ、という自分にとってはるか遠くにあった記憶を誰かが今の今までとても大事に抱えているのを知ったとき、自分をとても冷たい人間に思う。こんなことばかりを書き連ねていたら、またうるさいおじさんに「お前は自分が大好きなナルシストだ」と怒られるかもしれないがそれでも構わない。べつにナルシストではないし自分が大好きなわけでもないので、ゲラゲラ笑って「その通りですよ」と言えたのだ。あんまり自分に興味はないが、その時々で考えていることや言動が変わる自分を記録する作業はしておきたいと思う。現に過去書いたブログめいたものも書いては消している。そういう行為のなかにわたしの癖が現れているのだと思う。書いて消せるなんて、まったく薄っぺらい言葉でしかないのだ。わたしは薄っぺらい言葉しか書いていないので簡単に消せる。でも人間関係はそういう風にしちゃいけない、と最近気がついたのだった。知人がこれを見ていないことを祈るばかりだが。

 

何も考えたくないので、まばたきをゆっくり10回ほどしてみたが全然眠くならない。ゆっくり目をぱちぱちぱちと開けたり閉じたりしていると、この運動のアホらしさになんとなく救われて難しいことを考えることが難しくなってくる。自分を救う方法を数々編み出しているがこれもまたその一種だし、まったく誰も見ていないようなところに文字を打つこともその一種だし、ぼうっとしながら手をじっと眺めて「猿の手もこんな感じなんだな」と考えたり、明日の朝ごはんは何にしようかしら、目玉焼きの形はどうしていつも崩れてしまうのか?と考えながら明日も絶対に形の崩れた目玉焼きになるだろうことを予想したり、まあそういうことの繰り返しなのだけれど、これって一体どうなんだろうなあと突然パッと、後ろから背中を押されたような何かがやってくるときにはもうダメで、もう何もかもがアホみたいでたまらなくなって、それでいて守りの態勢に入って完全の現実逃避、すべての連絡をシャットアウト、外界から離れる、自分の中に閉じこもることをして、これじゃダメですよねえと自分の中でたくましい自分が立ち上がるまで待って、待ってみて、そういうことの繰り返しで、好きな人への気持ちがずっと持続することを願いながら、けれど未来のことはやっぱり全然わからないので確信はもてなくて、とするならば相手もどこかのタイミングでわたしへの気持ちがわからなくなる可能性が十分にあって、それは今なのかもしれなくて、連絡が来ないというただそれだけがその理由に繋がるよと今は考えてしまって、でもこんなことばかり考えていたらメンヘラになってしまう。(絶対に嫌だ!)やめるためにまたバカなことを考えたり早く眠ったりしようとするこんな風な繰り返しで、それ以外にも考えることは無数にあって、この前はどうしていきなり家に警察が来たのだろうね、(単に巡回だったが)もう日常の中に非日常が組み込まれすぎて、(大抵映画を見たり本を読んだりしているしそもそもテレビがない、SNSを避ける、情報を意図的に遮断しているので自ら非日常に足を踏み入れているわけなんだけど)日常が一体なんなのか今掴めておらず、それは長い休暇期間のせいなのかも知れないけれど。今はただただ明るい朝を幸せに迎えたい、それだけ。

 

 

 

 

 

戯言

 

自転車を購入した。いつか買おうと思ってはいたがタイミングがなく、しかし今日散歩をしている途中で良い自転車屋を見つけたのでなんとなく買ってみた。次の職場までこれに乗って通えるのだと思うとなんとなくワクワクしたが、この気持ちもすぐに冷めるんだろう。

広くて比較的安い自転車屋だったと思う。(他の自転車屋をよく知らないのでそもそも自転車の相場がわからないが)店頭にいかにも「これを買ってください」と言いたげなミントグリーンの自転車が置いてあり、わたしはまんまとその自転車に惹かれて長いこと眺めていた。その後、買わずに店を後にして歩いていたが、あれはきっと買うべきだと思い立ち一時間後に再び同じ自転車屋に立ち寄って、その自転車を買った。金がないからクレジットで。しかしクレジットの引き落とし日にも金がない可能性がある。まあどうにかなれば良いなと思う。そのままそれに乗って帰る。これまで自転車に乗ったことは幾度もあるが、「眼鏡をかけたままの状態でそれなりのスピードを出して自転車に乗る」ことはしたことがなかった。家に帰ると猛烈に気分が悪くなり、頭の奥のほうが揺れているような感覚で参ってしまう。具合でも悪くなったかと体温計を取り出して測ってみたが至って平熱であり、この気分の悪さはどこから来たものなのかと思い返してみると、眼鏡を掛けたまんま自転車に乗ったからだと思い当たった。一応度が入っているものなので、普通にかけていても若干気持ちが悪いのだが、これを掛けながらしかもスピードを出して外を走っていたので、なんだかきっと、いつも見ている世界がいきなりもっと近しくなり、しかもそれが迫ってくるようであり、でもそれらは見ている間もなく過ぎ去ってしまうのであり、まあともかく普段歩いている時にはなかなかしないような体験をして脳内がかき乱されたのだと思う。

いつからこんなに目が悪くなったのだろう。歩いていても、もう看板の字も見えないし、前方を歩く人の顔もよく見えなくなってしまった。目が悪いというよりは乱視でものがぼやけてぼやけて仕方がないのだ。

 

というこんな話は全くどうでも良いことで、文字を書き連ねないとやっていられない心境なのです。映画でも見て気を紛らわせようとしたけれど、じっと画面を見つめていてもダメだった。しかもアダムスファミリーを流していたのだけれど、子どもの頃に見た印象となんだか変わってしまって、(子供時代のほうが面白いと感じたんだけど)途中で消してしまった。こんな真夜中にPCに向かうことなどしたくない。できれば早く眠りたい。この一ヶ月間何にもしていなかった。(何もしていないというのは当然嘘だが)3日から約一ヶ月と二週間ぶりに労働が始まるが、果たしてわたしは来年の12月まで続けていることができるのかしら。続けることは、できるのかしら。もっともそれ以上に続けていきたいものがあるのだけれど、大事にできているのかしら。かしらん。

 

忘年会などというものがやってくるのであるが、わたしはこれらが大嫌いなのでできれば参加はしたくない。忘年会って一体全体なんなのだろうかと思う。すぐに新年会というものもやってくるが、「会」という漢字がわざわざあるにもかかわらず、会いたい人は本当にほとんど少数である。パッと思いつく人がそして全くいない時がある。誰に会いたいんだろうなと思う。

 

先日懐かしい人々と会っていた。とても良い時間であったし楽しかったのだけれども、もう数年は会わなくて良い気がしたし、その直後にすぐまた会おうと連絡をしてこられて参ってしまう。そんなに人と会うのが好きならば他を当たって欲しいと思う。なぜこんなに卑屈な考えが出てしまうのかというと、わたしが今もっとも会いたい人に会えないからだ。どんな百人、千人がいようとも会いたいたったひとりの人に会えなければ、嫌だ。感情的な話だけれど、わがままだけれど、嫌なのである。替えが効かないのである。しかしこんな子供のような戯言を伝えられるまでの距離にまだ到達できていないので、こんなところで隅っこで、変な時間に文字を打ち、気を紛らわし、ドキドキし、冬だというのに窓を開けて、来ることのない連絡を待っているのである。この待ち時間が死ぬほど大嫌いなので、すべてを取り消したくなるがとり消す癖はもうやめようと思っており、逃げたいが逃げる癖ももうやめようと思っていて、攻撃的になるのも防御するのもやめてすべてを受け入れられるマリア様のようになりたいとは思っているのだけれども、それには相当の寛容さが必要で、そうありたいと思った矢先にこの前は泣いてしまったりしたのでまだまだ難しい課題であり、絶対に面倒な人間にはなりたくないけれど我慢をするのも嫌で、そもそもこういう話は親友のような存在の友達にするべきではないかと思うがこのところ友達にも会っておらず、このような話をするとただただ見えないところにいる相手をグサグサと遠くから刺している気がしてしまうので嫌で、大切な人のことは本当に大切にしたい。だからひとりで考えたり待ったり穏やかな気持ちでなるべくいたいのだけれどやっぱりこの待ち時間はほんとうにつらい。大したことでは全然ないのだけれど、言ったことをすべて取り消したくなってしまう。相手の時間をわたしで奪ってしまうことへの抵抗がある。けれど会うってそういうことなのだから仕方がない。ひとりでも全然平気なのだけれど会いたいので会いたいと伝えただけである。話は簡単なのだ。断られたら、それはそれで仕方がない。でも悲しい。そういう状態を素直に認めてあげよう。岩手に住む友人に会いたいと思っている。この部屋に来てほしかった。

 

友人が次々に結婚をしているが、この歳になるとラッシュが来ると聞いていたけれどこんなに現実的なものなのかと驚いている。わたしにはまだ全然現実的ではない。そもそもずっと誰かが隣にいる未来をやっぱり考えることができないのだった。このひとが隣にいてくれたら、と思いはするけれど。そもそも他人と自分を比較する必要もないのだが、ラッシュという言葉も興味はないのだが。

 

不安になったりするのはどうしてだろう。なぜ些細なことで、バカみたいに泣いてしまったのか。相手がいると自分がよくわからなくなってしまう。じぶんの出したくない面見たくない面が出てきてしまう。わたしにとって彼はどんな存在なのか考える。考えすぎかもしれないけれど、よく知りたいので考える。それでもやっぱりいろいろわからなくなり、わからないと考えることが面倒くさくなってくる。ああ夜風が気持ち良い。今夜はよく眠れたらいいなあと単純なことを考え始める。そうこうしているうちに携帯が光ったりする。物事は時間が経つにつれてシンプルになっていくようだ。(ちなみに携帯は光っていないし、もう直ぐ電源を切ります)

お腹が空いたらご飯を食べて、眠りたいときに眠って、ああ朝だなと思いカーテンを開けてコーヒー飲んで、あわよくば好きな人と会えたら幸福で、会えなきゃ会えないでいつか会えたら嬉しいなと考え、ふらふら散歩をして、それなりに一生懸命仕事をして自転車をこぎ、疲れて眠る。もうこれだけで良いのかもしれない。

 

で、今日はキーマカレーを食べました。

 

他人の物語を食って生きて、数々の災難から逃れてきた。例えばどんな物語を、と問われるときには必ず「どこにでもあるようなこと」と答えるようにしている。それは一番適当な答えのような気がしているが、どこにでもあるような物語は大抵人が死んでしまう類が多くうんざりしてしまう。

それを悲惨な顔をしてムシャムシャ食うような下劣なやつにはなってはいけないと、急いでメモ帳に走り書きをした。