人から手紙をもらっても恥ずかしくて全然読めず 読むまでにものすごく時間がかかりひどい時は1年後などに読んでいるのだけれど 今回は家に帰って一息つくをだいぶ繰り返してからようやく手紙を読んだ そして案の定ポロポロ泣けてしまった なんやかんや言いながらもここで働けてよかったなあとしか思わない 悪いことは大抵忘れるのでもう良い思い出しか残っていない みんな個性的で強烈でたいそうな人たちだったなあと思う こんなしょうもないやつをよく可愛がってくれたなあと感謝しかなく 編集という仕事に出会わせてくれたシャチョーにやっぱり感謝している 手紙の文字はいつも通りヘタクソだったけれど、あのシャチョーが手紙を書いたというそれだけで泣けてくる 

 

送別会やお別れ会が本当に苦手で、だからそれはお願いだからしないでほしいということで また明日も普通に出社するよというテンションで去るつもりだった。

真面目になると泣けてきてしまうからだ。半分成功して半分は失敗したけれど、ふらっとに去ることができたと思う。またね〜と言った。

でも明日は出社しないその次の日もしない。なんだか寂しいものだ。

少しだけ長い休息に入る。明日はハナさんのお家にお邪魔して豚汁作ってもらう。

豚汁飲むのは久しぶりだ。ちゃっかり具沢山のものがいい、とわがままを言ってみた。具沢山だよ、と言ってくれた。

 

転がる準備を着々と進めながらも何もしないでなにもしない。

もらったダリアがとても綺麗で、なんだか。

溜まっていた洗濯物を抱えて(サンタクロースみたいに)コインランドリーに行き、小銭を崩すため自販機でリンゴジュースを買う。ゴックリ飲んでからようやく小銭を投入、洗濯機起動。その間ふらりと図書館へ行き、シンチョー45のO氏が書いた問題記事をようやく読んで、愚かさというか馬鹿さを曝け出しているだけの記事に愕然とした。この方は想像力の乏しい人間だな、で終わり。もう口に出すことも、そのような記事を見ることも、しない。騒ぎ立てる人たちもどうかと思う。

 

その後安西水丸さんの4コマ漫画があったので、それを読んで和やかな気持ちを取り戻す。駆け出しのデザイナーに向けて安西さんが言ったことが、良かった。

「そのまま何も上手くならず、女の子と遊んだり海外に出てみたり、とにかく上手くならない方法を選ぶのもひとつの手だよ。それも人生のデザインだから。」

(確かこんなことが書かれていた)

 

いいな。想像力が豊かな人が言える言葉だ。

 

youtu.be

 

子供の頃ビリーバンバンの歌が好きでよく口ずさんでいたが、昭和のフォークソングの力の抜けた感じ、すべてを諦めて遠い目をして歌っているような感じが良いというか、多分相性が合う。なんとなく畳の匂い、埃っぽさが感じられる歌を聞くと落ち着く。この歌、蚊取り線香の煙みたいだなあ(?)そこらを漂っているけれど時々ものすごく、沁みる。(煙が目に沁みる…)

「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」悲しくてやりきれないのにこんなに自然に流れるように歌っちまうんだからなあ そのまんまやりきれない悲しみもいつしか流れて また新しいやりきれなさが訪れたらばこの歌を口ずさんでしゅうっと少しずつ悲しみとやらを流していけるような気がする

 

なんちって、たいした悲しみもないのだけれど。

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爆発したような音が鳴り部屋がいやな揺れ方をするので眠れそうになく、さらに船酔いのような気持ち悪さを感じ頭が痛む。なぜいつも台風は夜中に来るのだろう。すでに台風が通過して穏やかな場所もあれば現在まさに暴風域に入っているこの辺り、そうしてこれから台風が来てしまう場所。台風の過去・現在・未来はずいぶんわかりやすい。ニュースに映し出されるデジタルな日本列島を見ると今この辺りは暴風域として赤く表示され、明日はそれが北にずれている。赤は危険なことを示す色なのか。台風以外にも危険なことは毎日起きているので、だったら至るところが赤く表示されていてもおかしくないが、花粉や熱中症の危険度が色に変換されるくらいで他に危険を示す赤が映されることは少なく、だからあまり危険ではないのかもしれない。危険ではないのかもしれない、と思っていると知らない間に怖いサイレンが鳴り、テレビの画面上部に何か怖い出来事が、聞き慣れない音と一緒に突然表示されたりする。やたらと音が鳴るときはすでに何かが手遅れのときで、でも音は今が危険だと必死に鳴り続ける。聞いたことのない甲高い音、サイレンのような音を聞いた時には危険を察知して自己防衛に励むものだと教えこまれたような記憶。あの音を聞くと逆に足がすくんで動けなくなり、皆が慌てて教室を出て行く姿も何だか怖かった。耳が聞こえない人はどうするのだろう。肌で危険を察知するのだろうか。音はただただ怖い。何かの感覚がとてつもなく優れて動物的だったらそれに従って素直に動くことができるのに、誰かを守れたり強くなれそうな気も少しだけするのに、情報しか拠り所がなく、そして機械に頼って動かされていることをとても非力に思う。情報が肥大すればするほど感覚が薄れていく。そのくせ情報が遮断され途切れることが一番怖い。もし何もかもがシャットアウトしたら、自分がいる所をしらせることも出来ず大事な人の居場所も分からず、そしてどうやって食べ物を探したら良いのかも行き先も何も分からない。だから一番弱い生き物だ。一番弱い生き物のくせにその自覚が全然ないところがまた弱い。一生逞ましくなれそうになく、何も知らないまま何かを知っているふりだけをして、ぽっかり終わってしまいそうだ。動物たちはこんなに酷い台風のなかでどこに隠れているのだろうか。

真夜中には狼のことを時々思い浮かべる。見たことはないが憧れのような気持ちが昔からあり、孤独な狼が山の上で遠吠えをする様子を思い浮かべるとなぜか安心し、そうして近寄りたいと思う。今この時(この時間)にそういう狼が存在していたら、と想像するとひとりじゃないような気がし子守唄よりも効力のある安眠剤になった。これは小さい頃からの癖。大抵空想ばかりしている子供だったので現実から離れたものにずいぶん助けられてきたが、まさか25歳になった今でもそれが続いているなんてどうかと思う。子供の頃想像していた〈大人〉というイメージと、年齢だけは大人になってしまった自分が全く違ったものになっている。そもそもどういうイメージを思い浮かべていたのかも忘れたけど、きっと大人は力強いもので泣かないものだと思っていた。でも全然そうじゃなかった。ちゃんと見ていなかったんだなと思う。

台風がすこし収まって鈴虫の音が聞こえる。風がうるさくて聞こえなかったがこんな時でも音を鳴らしていたらしい。小さくて、でも優しい音を鳴らすね。

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不動産屋の加藤さんからの電話で目覚めた。午前中に更新へ行くと言っていたのに寝坊。おはようございます、今起きたので後ほど行きます。と伝え1時間後家を出る。

「カイさんがふらっとここに来てからもう2年経つの。早いなあ。あの時のことはよく覚えているよ」そう言う加藤さんは前よりも和らげな顔になっており、なんというか熊に似ていた。2年前、ふらりと降り立った阿佐ヶ谷でなんとなく、本当になんとなく不動産屋に行き、一番安いお部屋を教えてください。と頼んだ相手が加藤さん。加藤さんは「わかった」と言い車で今住んでいる部屋まで乗せてくれた。その部屋(今の部屋だけど)を特に気に入りもしなかったが、他に選択肢もないので「ここに決めます」と言い、そして本当に住んでしまって今に至る。そして翌日、いざ自分の家へ向かおうとするも家の周辺で2時間くらい迷子になり、気がついたら荻窪にいた。荻窪だということを知ったのは、そこら辺を歩いていた郵便屋さんに「すみませんが、ここはどこでしょうか?」と尋ねると「荻窪だよ」というので、荻窪まで来てしまったらしいということに気がついたのだった。

なんとか部屋にたどり着いたが、今思うと阿佐ヶ谷から家までのルートはほぼ曲がり道がなく、近くはないが迷子になるほど難しくもない。なぜあんなに迷ったのかは今となっては思い出せないが、全然家が見つからないので全ては夢だったんではなかろうかと思うほどだった。

そして迷子になった翌日、不動産屋の加藤さんから電話が入り「あ、もしもしカイさん?いやちょっと昨日夢見たんだけどさ。夢で女の人がひたすらグルグルどこかを歩いて迷子になってたんだよ。もしかしたらカイさん、迷子になってなかった?」というので驚き、「それは私です。迷子になりました」と告げると「やっぱりねえ。道教えるから」と言って、もう一度わかりやすい道を教えてくれたのだった。この人は何者なんだろうと思った。そういうこともあり、加藤さんは私のことをよく覚えてくれていた。そしてこっそり更新料も安くしてくれた。(パイプユニッシュ代とか大変でしょ。と言いながら)そして「恋人はできた?」ときかれ、即答して「いいえ」と答えると、「そうかあ。誰かと住むことになったら出て行っちゃうのかなあと思ってさ」という。「その予定は今の所ないです」というと失笑混じりですこし切ない顔をされ、「とにかく頑張って」というので、わかりました頑張ります、と答えその場を去る。何を頑張るのだろうか。

 

そんなこんなでまた住み続けることになった。2年後の2020年まで。2020年には東京にいたくない。でもこの時自分は何をしているのか見当もつかない。色んなことが見当がつかないけれど歩くしかなく、そうして三宅さんの映画を見に行った。正直なぜ北海道が舞台なのか、これは東京の話にも見えると思ったけれども空気感が良かった。男ふたりが花の匂いを嗅ぎあって笑いあってるシーンを見て、こういうところを撮る三宅さんの感性を好きだなと思った。きっと花が好きなんだろうな。あと生活。なんだか色々が過ぎていったよなあ、と色々振り返ったりもした。

 

振り返り、書きとめたあとではもう前を向くしかなく、とりあえず何が起こるかはわからないけれど後ろを振りむいて歩くよりも思い切り盛大につまづきながら前へ転んで行くという道筋しかないような気がする。(状況が状況なので)今日不動産屋へふらりと行ったときの心持ちをちょっと思い出したのは良いことだった。かろやかにしなやかに自由に動きたいよなと思う。今はとりあえずみずみずしい梨をもくもくと食べている。紀伊国屋に果物の短歌集が置いてあったけど、秋・果物・短歌って良いセレクトだな。

 

 

 

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古本屋で本を漁っていたら突然大雨が降り出した。とっくに買う本は決まっていたけど外に出るのが億劫で、本を探すふりをして雨音が静まるのを待ってみた。でも一向に収まる気配がなく、仕方がないのでレジへ行き、その足ですぐさま向かい側の喫茶店に避難する。店内の1階はほとんど人で埋め尽くされていたので2階へ行き、そして8人掛けくらいのテーブルに案内されるもどこに座るべきか一瞬ためらった。

このテーブルには年の離れた男女も座っていたので、彼らから一番離れた席を選ぶ。

その他二人掛けの席には若い女の子が座っていた。みんな可愛い洋服を着ていて、そして全員が似たようなお化粧をしていた。だから皆顔が似ている。バイトが嫌だとか、そんな話をあっちの席でもこっちの席でもしていたので、話題までも皆同じのようだった。若い子と一緒に働くのはしんどそうだな、となんとなく思う。年下の女の子とやらが、実は一番苦手なのだ。

 

後ろに窓があったので、外の様子を窺う。一瞬外に出た時がピークだったようで、店に着いた途端雨は弱まっていた。もう少し粘ってあの店に居ればよかった、と思いながら久しぶりにホットコーヒーを飲み、それから買った本を読んだりしていたけれど集中できず途中でやめた。向かい側の男女の会話が嫌でも耳に入ってきたからだ。妙な会話をしている。どんな関係性なのか、ちょっと気になり始めてしまった。男性は女の子に貢いでおり、女の子はその代わりに時間を彼に与えているようだった。何かの会話の途中で「たまには僕にもお金を使ってよ」と男が言うと、「そんなこと言う?その代わりにこうして会って、時間使ってるじゃん」と女の子が答え、男は狼狽えたように笑っていたのでそういうことなんだと思う。男、何だか切ない。けど顔が幸せそうだったし、女の子もつっけんどんな態度ながらも楽しそうだった。好きでもない相手とずっとお喋りするのはさぞかし辛いだろう。むしろ女の子のほうが夢中に話をしていたので、まんざらでもなさそうだ。そのうち「ディズニーランドとディズニーシー、どっちが良い?」という夢のような会話を始め、私も勝手にどっちが良いだろうかと考えて、ディズニーランドに行きたいなと思った。 彼らはディズニーシーに行くらしい。

・・・・。

ふたりは席を立っていなくなった。相変わらず似たような顔をした女の子たちはキャピキャピ楽しそうにお喋りを続けていた。外を見ると雨は止んでおり、8人掛けのテーブルにひとりで座るのもあんまり落ち着かず、店を出る。

部屋の時計が止まってしまったため、電池を買う。16時25分あたりで動かなくなっていたけど、ようやくカチカチと音を鳴らすようになった。振り子の部分は壊れて取れてしまった。振り子が気に入って買ったのに、直す方法がわからない。時計が動いて、明日にどんどん近づいていく。明後日にも明々後日にも近づいていく。

 

恐ろしい。