_

 

松浦理英子が好きだと言ったら、それは皆の前で言わないほうがいいとのことだった。わざわざ言うわけでもないけれど、聞かれたから答えだだけだ。ここ最近、女の子に抱きしめられる夢を何度か見た。昔住んでいた家の二段ベッドで、その女の子はいろいろを許してくれたのだった。何も言わずに本当に、ただ許してくれたのだった。押し殺していたものをゆっくり吐き出して、起きたときには丸まったまんま泣いていた。変な夢。もしや自分は、と一瞬考える。でも思い出す人は今のところ男。だから多分、そういうことではない。

 

樹木希林内田裕也を、「この人の純なところがすごく美しいと思った」というようなことを、良い表情で、そうして自信を持ってきっぱりと言い切っている姿があまりにも素敵だった。誰がなんと言おうと、世間から白い目で見られている相手の過ちだろうと受け入れて、一番の理解者として魂で寄り添っていた樹木希林さんは本当の女性だ。受け入れる力が深い。何だかなめらかな丘みたいな人だ。(?)

 

純な目をした人のことを私は今まで、たったひとりだけ知っていて、未だに思い出したりする。その目ん玉の前ではうそが全部ばれるので、後ろめたい気持ちにすらなるのだけれど、同時に何もうそがない、なんにもない、ただ存在するだけの自分でもいられたのだった。こんなに安心できて、恥ずかしくて、怖いことはない。

でもあの人は、あの目ん玉のまんまずっとこの先いってしまったら、長いこと生きていけない気がするから、多分短命だ。ボロボロの洋服を着て、何も持たず、世の中と逆の方向に進んでいた人。樹木希林さんの真似をして、自信を持って言うならば、わたしはそして、その人をすごく好きだったのである。誰よりも、とても豊かに見えたのだ。「何もないのに何もかもある」という、とある詩の一部をこの人が体現していた。そんな風な人間と出会うと、地位やら名誉やら、とにかく欲というかそういうものが本当に馬鹿げたものに思えて、なんだか鼻で笑いたくなってくる。そういう人はきっと、彼のような人間を見下すのだ。その前にまず黙るということを覚えてねと言いたい。

 

少し歩くと嘘くさい笑みみたいな、貼り付けられたものが多すぎて、(テレビでもそう、何でもそう、SNSもそう)色々なものをとにかくうるさいなあと感じる。押し付けがましい。そのなかでとても自然に笑うひとを側に置きたい。聞く人を大事にしたい。小さい声が聞こえなくなってしまう。それはとても怖いことだ。

そういうような映画が必要だとも思う。うう。どうして、器用な人だけがどんどんどんどんうまく行っちゃうんだろう。