戯言

 

自転車を購入した。いつか買おうと思ってはいたがタイミングがなく、しかし今日散歩をしている途中で良い自転車屋を見つけたのでなんとなく買ってみた。次の職場までこれに乗って通えるのだと思うとなんとなくワクワクしたが、この気持ちもすぐに冷めるんだろう。

広くて比較的安い自転車屋だったと思う。(他の自転車屋をよく知らないのでそもそも自転車の相場がわからないが)店頭にいかにも「これを買ってください」と言いたげなミントグリーンの自転車が置いてあり、わたしはまんまとその自転車に惹かれて長いこと眺めていた。その後、買わずに店を後にして歩いていたが、あれはきっと買うべきだと思い立ち一時間後に再び同じ自転車屋に立ち寄って、その自転車を買った。金がないからクレジットで。しかしクレジットの引き落とし日にも金がない可能性がある。まあどうにかなれば良いなと思う。そのままそれに乗って帰る。これまで自転車に乗ったことは幾度もあるが、「眼鏡をかけたままの状態でそれなりのスピードを出して自転車に乗る」ことはしたことがなかった。家に帰ると猛烈に気分が悪くなり、頭の奥のほうが揺れているような感覚で参ってしまう。具合でも悪くなったかと体温計を取り出して測ってみたが至って平熱であり、この気分の悪さはどこから来たものなのかと思い返してみると、眼鏡を掛けたまんま自転車に乗ったからだと思い当たった。一応度が入っているものなので、普通にかけていても若干気持ちが悪いのだが、これを掛けながらしかもスピードを出して外を走っていたので、なんだかきっと、いつも見ている世界がいきなりもっと近しくなり、しかもそれが迫ってくるようであり、でもそれらは見ている間もなく過ぎ去ってしまうのであり、まあともかく普段歩いている時にはなかなかしないような体験をして脳内がかき乱されたのだと思う。

いつからこんなに目が悪くなったのだろう。歩いていても、もう看板の字も見えないし、前方を歩く人の顔もよく見えなくなってしまった。目が悪いというよりは乱視でものがぼやけてぼやけて仕方がないのだ。

 

というこんな話は全くどうでも良いことで、文字を書き連ねないとやっていられない心境なのです。映画でも見て気を紛らわせようとしたけれど、じっと画面を見つめていてもダメだった。しかもアダムスファミリーを流していたのだけれど、子どもの頃に見た印象となんだか変わってしまって、(子供時代のほうが面白いと感じたんだけど)途中で消してしまった。こんな真夜中にPCに向かうことなどしたくない。できれば早く眠りたい。この一ヶ月間何にもしていなかった。(何もしていないというのは当然嘘だが)3日から約一ヶ月と二週間ぶりに労働が始まるが、果たしてわたしは来年の12月まで続けていることができるのかしら。続けることは、できるのかしら。もっともそれ以上に続けていきたいものがあるのだけれど、大事にできているのかしら。かしらん。

 

忘年会などというものがやってくるのであるが、わたしはこれらが大嫌いなのでできれば参加はしたくない。忘年会って一体全体なんなのだろうかと思う。すぐに新年会というものもやってくるが、「会」という漢字がわざわざあるにもかかわらず、会いたい人は本当にほとんど少数である。パッと思いつく人がそして全くいない時がある。誰に会いたいんだろうなと思う。

 

先日懐かしい人々と会っていた。とても良い時間であったし楽しかったのだけれども、もう数年は会わなくて良い気がしたし、その直後にすぐまた会おうと連絡をしてこられて参ってしまう。そんなに人と会うのが好きならば他を当たって欲しいと思う。なぜこんなに卑屈な考えが出てしまうのかというと、わたしが今もっとも会いたい人に会えないからだ。どんな百人、千人がいようとも会いたいたったひとりの人に会えなければ、嫌だ。感情的な話だけれど、わがままだけれど、嫌なのである。替えが効かないのである。しかしこんな子供のような戯言を伝えられるまでの距離にまだ到達できていないので、こんなところで隅っこで、変な時間に文字を打ち、気を紛らわし、ドキドキし、冬だというのに窓を開けて、来ることのない連絡を待っているのである。この待ち時間が死ぬほど大嫌いなので、すべてを取り消したくなるがとり消す癖はもうやめようと思っており、逃げたいが逃げる癖ももうやめようと思っていて、攻撃的になるのも防御するのもやめてすべてを受け入れられるマリア様のようになりたいとは思っているのだけれども、それには相当の寛容さが必要で、そうありたいと思った矢先にこの前は泣いてしまったりしたのでまだまだ難しい課題であり、絶対に面倒な人間にはなりたくないけれど我慢をするのも嫌で、そもそもこういう話は親友のような存在の友達にするべきではないかと思うがこのところ友達にも会っておらず、このような話をするとただただ見えないところにいる相手をグサグサと遠くから刺している気がしてしまうので嫌で、大切な人のことは本当に大切にしたい。だからひとりで考えたり待ったり穏やかな気持ちでなるべくいたいのだけれどやっぱりこの待ち時間はほんとうにつらい。大したことでは全然ないのだけれど、言ったことをすべて取り消したくなってしまう。相手の時間をわたしで奪ってしまうことへの抵抗がある。けれど会うってそういうことなのだから仕方がない。ひとりでも全然平気なのだけれど会いたいので会いたいと伝えただけである。話は簡単なのだ。断られたら、それはそれで仕方がない。でも悲しい。そういう状態を素直に認めてあげよう。岩手に住む友人に会いたいと思っている。この部屋に来てほしかった。

 

友人が次々に結婚をしているが、この歳になるとラッシュが来ると聞いていたけれどこんなに現実的なものなのかと驚いている。わたしにはまだ全然現実的ではない。そもそもずっと誰かが隣にいる未来をやっぱり考えることができないのだった。このひとが隣にいてくれたら、と思いはするけれど。そもそも他人と自分を比較する必要もないのだが、ラッシュという言葉も興味はないのだが。

 

不安になったりするのはどうしてだろう。なぜ些細なことで、バカみたいに泣いてしまったのか。相手がいると自分がよくわからなくなってしまう。じぶんの出したくない面見たくない面が出てきてしまう。わたしにとって彼はどんな存在なのか考える。考えすぎかもしれないけれど、よく知りたいので考える。それでもやっぱりいろいろわからなくなり、わからないと考えることが面倒くさくなってくる。ああ夜風が気持ち良い。今夜はよく眠れたらいいなあと単純なことを考え始める。そうこうしているうちに携帯が光ったりする。物事は時間が経つにつれてシンプルになっていくようだ。(ちなみに携帯は光っていないし、もう直ぐ電源を切ります)

お腹が空いたらご飯を食べて、眠りたいときに眠って、ああ朝だなと思いカーテンを開けてコーヒー飲んで、あわよくば好きな人と会えたら幸福で、会えなきゃ会えないでいつか会えたら嬉しいなと考え、ふらふら散歩をして、それなりに一生懸命仕事をして自転車をこぎ、疲れて眠る。もうこれだけで良いのかもしれない。

 

で、今日はキーマカレーを食べました。