戯言2

 

この一年間で起きた様々なことのほとんどを忘れたい。10月、11月の記憶だけ伸ばして引っ張って1月から9月までの記憶に貼り付けたいが、そんな調子の良い話はあるはずもなく、そもそもそれらの延長で今があるということを忘れてはいけない。でもともかくこの人生で忘れたいことが多くを占めていることは確かで、そして実際わたしは結構いろいろなことをちゃんと忘れているのであり、それは時々誰かをさみしい気持ちにさせるのだ。そんなことあったねえ、という自分にとってはるか遠くにあった記憶を誰かが今の今までとても大事に抱えているのを知ったとき、自分をとても冷たい人間に思う。こんなことばかりを書き連ねていたら、またうるさいおじさんに「お前は自分が大好きなナルシストだ」と怒られるかもしれないがそれでも構わない。べつにナルシストではないし自分が大好きなわけでもないので、ゲラゲラ笑って「その通りですよ」と言えたのだ。あんまり自分に興味はないが、その時々で考えていることや言動が変わる自分を記録する作業はしておきたいと思う。現に過去書いたブログめいたものも書いては消している。そういう行為のなかにわたしの癖が現れているのだと思う。書いて消せるなんて、まったく薄っぺらい言葉でしかないのだ。わたしは薄っぺらい言葉しか書いていないので簡単に消せる。でも人間関係はそういう風にしちゃいけない、と最近気がついたのだった。知人がこれを見ていないことを祈るばかりだが。

 

何も考えたくないので、まばたきをゆっくり10回ほどしてみたが全然眠くならない。ゆっくり目をぱちぱちぱちと開けたり閉じたりしていると、この運動のアホらしさになんとなく救われて難しいことを考えることが難しくなってくる。自分を救う方法を数々編み出しているがこれもまたその一種だし、まったく誰も見ていないようなところに文字を打つこともその一種だし、ぼうっとしながら手をじっと眺めて「猿の手もこんな感じなんだな」と考えたり、明日の朝ごはんは何にしようかしら、目玉焼きの形はどうしていつも崩れてしまうのか?と考えながら明日も絶対に形の崩れた目玉焼きになるだろうことを予想したり、まあそういうことの繰り返しなのだけれど、これって一体どうなんだろうなあと突然パッと、後ろから背中を押されたような何かがやってくるときにはもうダメで、もう何もかもがアホみたいでたまらなくなって、それでいて守りの態勢に入って完全の現実逃避、すべての連絡をシャットアウト、外界から離れる、自分の中に閉じこもることをして、これじゃダメですよねえと自分の中でたくましい自分が立ち上がるまで待って、待ってみて、そういうことの繰り返しで、好きな人への気持ちがずっと持続することを願いながら、けれど未来のことはやっぱり全然わからないので確信はもてなくて、とするならば相手もどこかのタイミングでわたしへの気持ちがわからなくなる可能性が十分にあって、それは今なのかもしれなくて、連絡が来ないというただそれだけがその理由に繋がるよと今は考えてしまって、でもこんなことばかり考えていたらメンヘラになってしまう。(絶対に嫌だ!)やめるためにまたバカなことを考えたり早く眠ったりしようとするこんな風な繰り返しで、それ以外にも考えることは無数にあって、この前はどうしていきなり家に警察が来たのだろうね、(単に巡回だったが)もう日常の中に非日常が組み込まれすぎて、(大抵映画を見たり本を読んだりしているしそもそもテレビがない、SNSを避ける、情報を意図的に遮断しているので自ら非日常に足を踏み入れているわけなんだけど)日常が一体なんなのか今掴めておらず、それは長い休暇期間のせいなのかも知れないけれど。今はただただ明るい朝を幸せに迎えたい、それだけ。