このところ土曜日は大抵部屋から出ない。

することといえば起きてからいそいそとコインランドリーに行くくらいで、あとは部屋でタバコを吸い、過去の日記を読み返し、積読中の本を気ままに読み耽り、パンを食べ、何もせず壁を見つめたまま体が冷えていることを実感し、速やかに布団に入る。そうこうしているうちにあっという間に夜になっている。

 

積極的に自分から会いたいひともいくらかいるが、誘うのも億劫で最近はひとにあっていない。休日は皆、一番そばにいたい人と過ごしているのだろうか。わたしもそうでありたいと、うっすら朝に思っていた。

 

空気のような存在でいたいし、空気のような存在でいてほしい。ちゃんと好きであるならば。

 

 

誕生日が近づいているけど、一つ歳が増えたところで何が変わるわけでもない。ただこの体はあらゆるものを吸収し続ける。それは言葉になったり、皺になったり、そのまま食べたものが肉になったり、さまざまな形で現れるわけだ。この歳になって、考え方や物の言い方、見方を含めてなにが自分から表出されているのだか、あまり理解していないけれど、吸収したことで削ぎ落とされたものもあり、いくらか楽になった。言い方を変えるとすこし世界が広がったというんだろうか。そしてある種の諦念感が支えになっている。これは大人の特権だ。

歳を取るたびに楽になっていければうれしい。ただまだまだ知らないことは多い。まだ人生の半分も生きていないのだから。すーはーすーはーしているうちにあっという間に年老いて、すーはーすーはーが終わる時が来るなんて想像がつかないね。

 

きょうはガルシアマルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んだ。冒頭の一行、誰が思いつく?

 

「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」