無責任のはじまり

 

なにかを書く場所をコロコロ変えすぎる癖がある。このはてなブログも実は過去に複数存在していて、先日数年前のブログにコメントが付いていることに気がついた。当時はまったくそんなことに気がついていなかった。大学時代、逗子でのゼミ合宿のことを書いたものにコメントが寄せられていたのだけれど、そのゼミ合宿でわたしは合宿に行く前にそれが憂鬱すぎて行く前にトイレで泣いていた始末だったので、きっと暗い暗い文章だったのだろう。思い出すとちょっと笑えてくる。皆が皆でどこかに行ってしまって、わたしは海辺の近くの喫茶店でとりあえずレモンジュースを飲んでぼんやりしていたのだが、そのときも多分泣いていた。何がそこまで辛かったのだろうか。それなりに皆はわたしの性質に気がついていて、放っておいてくれたり、優しい言葉をかけてくれたりしたのだけれど、当時のわたしはそのような気遣いを受け取る余裕がなかったのだと思われる。実際のところいまも大多数の人間と一緒にいるとそんな風になることがあるのだが、もうこれは性質上仕方のないことだ。ひとりになりたいからわざわざひとりになっているのになぜ泣くんだという話ではある。社会人になってからはたくましくなって仕事上ではしっかりした人間を装えるようになった。働くということはわたしにとって精神衛生上よかったのかもしれない。何もしていないとまったくどうでも良いことにウンウン時間をかけて悩み考えそうして結局は鬱状態になるというのがオチだから。で、こんなところにこんな風に何かを書いたところでどうにもならないのに定期的に無駄な場所に無駄なことを書きたくなることがある。使っていた日記のサイトのお試し期間が終了し、そこにはもうなにも書けなくなった。自分のPCには数年前から書いている日記があってスクロールをしてもしても言葉があふれている。正直言ってこの、自分だけしか読まない日記は私の分身であり絶対に消えてはならないものだ。ここに書き記されている人がたくさんいる。そしてもう二度と会わないであろう人の記憶もここにはちゃんと書かれている。これから出会うのであろう人は、待っていてください。書きますから、という感じ。わたししか読まないんだけど。こんな風にいきなり書き始めては突拍子もなく全てを消したくなるのが私の癖で、ネット上に書くものは、わたしは一つも信用していない。なぜなら無責任にスイッチ一つでポチッと消せるから。だから大事なものは、本当に残しておきたいものは、机の上のノートの中にびっしり書き込んでいる。これは無責任に消すことはできない。ということで、こんなものは読まれなくても良く、忘れ去られても良く、ただ単に書くという行為、自分が気持ち良くなる行為をしているだけという感じ。プールで泳いでいるような感覚なのかしら。プールで泳げたことなどなく、習っていたのにもかかわらず毎回溺れる始末で海やプールはちょっとこわいのですけれども、ただ浮かんでいるということはしていたい。しかしまあ、さっきも書いたけれど、森田童子が本当にすばらしい。でもこの歌詞は本当に死にたくなったときにそれを促すような作用があって、ちょっと危険。

 

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